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ミッドウェイ海戦での大敗

南雲忠一ミッドウェイ作戦の敗将なぐも
1942年6月6日、ミッドウェー海戦に第一航空艦隊長官として参加、日本側の暗号を解読し用意周到に日本軍の来襲を待ち受けていたアメリカ軍側に対し、主に技術的な面から情報収集能力に遅れを取っていた日本側は米側に機動部隊の所在位置を索敵され、雷撃機による攻撃は回避したものの、その直後に急降下爆撃機による攻撃も受け、赤城をはじめとする主力空母4隻を失う大敗を喫する。
まさに決断

この画像を見ながら検証して見ましょう
なぜこんなに負けてしまったのか
南雲は元来、魚雷専門の「水雷屋」。航空はズブの素人である。日米開戦という重大な局面で航空戦に素人な人を機動部隊の司令官に仰がねばならなかったというのは、ただただ日本海軍の年功序列の人事のためであった。
真珠湾攻撃は機動部隊が行わなければならないが、真珠湾へむかう航海中、「出るには出たがうまくいくかなあ」と参謀へこぼしていた。しかし、案に相違して真珠湾攻撃は成功する。しかし、アメリカ軍の空母は真珠湾を出航していたため討ち漏らした形となり、基地の施設もほとんど手付かずのままになっていた。南雲としてはアメリカの艦隊に大損害を与えた以上、無傷のまま機動部隊を日本に帰したかった。そのため第二次攻撃を行わず、また敵空母を求めて行動することなく引き上げている。もしこの時、敵空母を沈めるか、ハワイの基地を破壊できたとしたら今後の戦況はまた異なった結果になっていたかもしれない しかし、これは歴史の後知恵というものであり、このとき南雲機動部隊のおかれた立場とすれば追撃を控えた決断は慎重であったと評価できるかもしれない。 しかし、真珠湾攻撃から半年後、昭和17年6月のミッドウェイ海戦においてこのときのツメの甘さのツケを払わされる。
ミッドウェイ島を攻撃した第一次攻撃隊から、「第二次攻撃の要あり」と報告をうけ、南雲は第二次攻撃隊をミッドウェイに向かわせるべく、魚雷を陸用爆弾に変更させた。
 魚雷から陸用爆弾に変更した攻撃隊が出発しようとしたその時、索敵機から「敵空母発見」の報告が入る。
 「敵空母発見」の報に驚いた南雲中将は陸用爆弾に変更した爆弾を再び魚雷を装備するように命令を下す。この時、一刻を争うと判断した第二航空戦隊の山口多聞少将は「ただちに攻撃隊の発進の要ありと認む」と南雲長官あてに意見具申した。山口は魚雷に装備を変えることなく爆弾で先制攻撃をかけ、海戦の主導権をにぎるべきとの判断である。
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しかし、南雲は戦闘機、攻撃機、爆撃機の三身一体となった正攻法をとり、山口の進言を無視。爆弾から魚雷の転換は貴重な時間を無駄にした。 出撃の準備が整って攻撃隊が発艦しようとしたその時、アメリカ軍攻撃機が飛来、攻撃を受ける。日本軍の空母には度重なる命令の変更により爆弾が艦内に散乱していた。それが攻撃を受けて次々と誘爆をおこし、またたくまに空母「赤城」「加賀」「蒼竜」が大火災を起こす。一方的な大敗北であった。 航空戦においては一瞬の決断が勝敗を左右する。そのことを理解しきれてなかった南雲中将とその司令部が招いた敗北であった。 真珠湾以来の連戦連勝でアメリカ軍を侮っていた。 ? アメリカ軍に作戦が漏洩していた。また日本軍も機密の保持と言う点で全く鈍感であった。このことは、当然極秘事項であるべき作戦目標がミッドウェイであることが、呉の一般市民が知っていたと言う事実でわかる。


? アメリカ機動部隊がミッドウェイ周辺にいないと思い込んでいたこと。そのため索敵活動を疎かにしたこと。これは、?の敵を侮っていたことに通じる。等があげられる。このことは南雲機動部隊のみの責任でなく、軍令部、連合艦隊司令部をふくめた海軍全般の責任であろう。 いずれにしても、ミッドウェイ海戦はこれまで攻勢を保っていた日本が守勢に転換させられた戦いであった。そしてこれ以後、日本は敗戦への道を緩やかに辿っていくことになるのである。

駆逐艦乗務員の証言
「目標左ぃー!加賀上空!」あっという間に降下した爆撃機は我々の砲が回頭するまもなく、爆弾を放った。加賀の甲板から閃光が走った。赤城、蒼龍とも同様、炎上する炎は何百メートルにも達した。指揮所員たちは「えらいことになった」といっている。飛龍だけは何とか無事のようだ。やがて敵機も去り、我々は空母の乗員救出を始めた。艦を停止して、負傷者を引き上げているとき、「雷跡っ!」という声がした。みると二本の雷跡のうち一本が艦尾に向かってぐんぐん迫ってくる。艦尾には多数の救助した空母乗員がいた。ついに、ガツンと命中したが爆発はしなかった。皆、恐怖の表情で上からのぞいていた。

エンタープライズ飛行隊長の証言
私は四隻ある空母のうち、手近な二隻に目標を定めた。零戦は雷撃機にそなえてか低空にいる。ラッキーだ。目標を定めて降下に入った。その頃になって、やっと対空砲火が火を噴き始めた。爆弾を落下させる直前、甲板上に航空機が満載になっているのがわかった。急降下爆撃は成功した。ふりかえると三隻の空母が炎上していた。帰途につくと後方から零戦がおそってきた。激しい衝撃を感じ、後ろを振り返ると射手が倒れていた。エンタープライズに着艦すると、ヨークタウンが敵攻撃隊にやられている最中だった。

 昭和19年3月。アメリカ軍はマリアナに攻勢をかける。日本の防衛上の重要拠点サイパンを守るため、南雲は中部太平洋方面艦隊長官になっていた。しかし、6月のマリアナ沖海戦の敗北に伴い、7月サイパン陥落。南雲中将は陸上において玉砕の運命をたどった。

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