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河口湖自動車博物館へ

今年も河口湖自動車博物館へゼロ戦を見に行ってきました。
この博物館は毎年8月のみ公開されていてその都度、復元が進んだ実機の展示が楽しみで毎年来ています。
今年は一式陸攻の胴体前部が復元されました。昨年までは後部のみでしたが実際見てみると大きかったです。
今後、主翼なども復元予定との事、実に楽しみです。
enemy.jpg
無塗装部分が今回の追加部分です。この飛行機は航続距離が長い事が有名でした。これは、燃料タンクを翼の中に収めるインテグラル式タンクを採用した事から、航空燃料を5000リットルも搭載でき、米軍の4発重爆撃機のB17と遜色ない航続力を保持する事ができました。しかし、翼自体が燃料タンクになっていることから僅かな被弾でも火災を起こし墜落してしまったと言われています。当時、連合軍からは「ワンショット・ライター」と言われていたらしい。
緒戦では、イギリスの誇る戦艦二隻を轟沈させる戦果をあげて終戦まで主力機として活躍しました。かの山本五十六連合艦隊指令長官が米軍機に撃墜され戦死した時に搭乗していたのもこの飛行機でした。大戦末期には桜花という人間爆弾を吊るして特攻に駆り出された悲運の飛行機です。
昭和20年3月21日、第一神風桜花特別攻撃隊 神雷部隊攻撃隊が桜花を吊るして出撃しましたが、護衛機不足と米軍機のレーダーによる待ち伏せにより桜花を発進させえないまま陸攻機は18機全機未帰還、零戦隊は30機中10機が撃墜されて戦果を上げられなかったといいます。桜花の重量2140キロは、一式陸攻の運動能力を制限させ、目標への接近前に母機ごと撃墜されることが殆どだったようです。
G4MBetty.jpg

この映像では鈍足のうえに桜花の積載で回避運動も出来ないほど運動能力の低下した陸攻に米軍機がやりたい放題です。(アメリカ軍のガンカメラの画像と思われます)

松本零士の音速雷撃隊を編集したものです。
とはいえ、この機の行動には大体ゼロ戦が護衛についていたので、陸攻の七人の乗員はゼロ戦が頼もしかった事でしょう。戦争末期には激甚な局面で使用されることが多く損害も多大だったため、2,400機以上が生産された当機も終戦時には約160機が残存するだけだったようです。

河口湖にはTDR250弐号機で行ってきました。諏訪南から高速に乗りましたが、最初は恐る恐るアクセルを開けてのソロ・ツーリングでした。途中のサービスエリアでは他のライダーから写真を取って頂いたり、時々、注目されてご満悦でした。
朝からバイクを整備して慌てて出発した為、財布と免許・デジカメを忘れウエストバッグにお金を入れてて良かったですが、写真はなしです。(携帯で何枚か撮りました)
双葉の手前で140㌔まで出してみましたがまだもう少し余裕って感じでした。
パワーバンドからの加速は爽快の一言、帰りの高速もストレスなく帰宅しました。
実に楽しかった。






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カネソブログへようこそ!どんな人?と聞かれてさてとじーちゃん、ばーちゃんとか子供にはなぜか好かれます。 ... (^^ゞ家族からは押し愛ながら弾かれたりしてます。 自動車の販売、車検、修理なんかを生業にしてます。

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